こんにちは、アリア(aria)です。
お久しぶりですね。
今日も来ていただき、ありがとうございます。
まだまだ個人的変化は続いています
最近の過ごし方は、
身の回りをすべて、精妙なもの、繊細なもの にふれていたい。
音楽、食べ物、衣服、ニュース、景色、文章 etc
さやさやゆらゆら
繊細な波動のなかで過ごしたいです。
生まれたての波動は、雛や新芽のよう。
まだまだ弱くもあり儚くもあり。
なので自然と、身の回りに和らぎのあるものごとを選ぶのかもしれません。
心地よさのなかで、今を感じたい。
刺激物に興味が無くなってね~
繁華街とか雑踏とか、当分行かないでしょうね。
作品作りも変わってきて、
これまでは金属やデザインでも、カチッとシャープなエネルギーをどこかに入れてきたのだけれど、
今感じているのは、もっとまっさらなエネルギー。
儚く消えてもそれでいい、そんなエネルギー。
それをこれから形作っていこうとしています。
帰ってきてくれた右脳感覚とともに♪
左脳活動もスローダウンして、身体の声を聴きながら、
目の前のことを一つずつ
いまは個人的にそういう時期なんだと思います。
たまに、揺り戻しのようなことも起こりますけどね。
自分が変わったら、あとは全部がガラッと変わるのではなくて、
変化の波動には、波の揺り返しがあるものです。
変わる前の時のような、他人の言葉やハプニングなんかが起こって来る。
そんな時は、
「これはお試しで、揺り戻しの波なんだなーっ」と。
客観視する。
惑わされずに淡々と、ですね。
なんだかもう、なんでもいいな というか、
どこに向かうのか、なんにせよ、いまはもうこれでいいなと。
多分、もともとがちょっと人とずれているのかもしれないです。
世間の一般の概念がある層や、一般的な人の感情がある層から、1枚か2枚ずれているように自分は感じます。
(おかげで、ちょっと先や未来、半年から数年先のエネルギーの流れがわかるというメリットはありましたが)
それを、達観とか仏陀の悟りとか言ってくれた人もたまにいらっしゃって。
でも、自分自身がまだ未熟だったこともあり、人の言葉を受け容れられなかった。
「視点はもっているけれど、それを受け容れるほどには自己の内側が繊細過ぎた」というか。
自虐的だったというか。
けれど、
そのことも最近は、まるまる認められるようになりました。
ありのままをどれだけ認められるか。
大きいですね。
新芽は、そこから生まれるのかもしれません。
つづくかどうかは?
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます*
-aria